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フィリピンの国民的英雄とは

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フィリピンの8月最後の月曜日は祝日です

 フィリピンでは、8月の第4月曜日はナショナルヒーローズデイ(National Heroes’ Day)という祝日です。これは国民的英雄を祝う日で、日本にはありませんが、他の国でも国民的英雄やヒロインの誕生日、あるいは彼らの偉業の記念日を祝日と定めたりしています。

 例えば、インドネシアは11月10日で、インドネシアが独立戦争を本格的に始めた日を祝い、ケニアは10月20日で、ケニアの独立に積極的に貢献した6人の英雄を称える記念の日として祝日になっています。

 もともとは、フィリピン史上初めて革命を目指したことから、「フィリピン革命の父」といわれているボニファシオの誕生日の11月30日と同じ日をナショナルヒーローズデイとして祝っていました。ところが式典を別々に開催していることから、1931年10月28日の法律第3827号により、ナショナルヒーローズデイを8月の最後の日曜日に設置しています。

 これは、1896年、スペインの植民地支配からの独立を目指してカティプナンという秘密組織のメンバーがマニラ郊外バリンタワク(Balintawak)で、反乱の証としてセドゥラス(スペイン語で書かれた居住証明書)を破り、そのリーダーであったボニファシオが武力闘争を宣言した日(バリンタワクの叫び)にちなんでいます。

 しかし、その後も慣例で引き続き11月30日にボニファシオデーとナショナルヒーローズデイを同じ日に祝っていたようです。そして1942年3月20日に大統領令20号でナショナルヒーローズデイを実態に即した11月30日に戻しました。

 さらに、1952年に行政命令第190号を通じて、再度、8月の最後の日曜日に戻しています。この年の8月31日に行われたナショナルヒーローズデーの祭典を担当する委員会の委員長には教育長官を指名し、ボニファシオの名前を永遠に残すためにもボニファシオデーとナショナルヒーローズデイを分ける必要があったと説明してからは、別々の日に祝うことが定着したようです。

 最後に、2007年7月にアロヨ大統領が法律第9492号に署名。彼女の政策で週末を長くして国内のレジャーと観光を促進するために8月第4週の月曜日になりました。

1995年に国民的英雄委員会を発足し、9人の英雄を選定

 フィリピンでは、1993年3月28日、大統領令第75号で国民的英雄委員会というのを発足させ、1995年11月15日、9人を国民的英雄として認定するよう勧告していますが、その後は特に認定の手続き等はされておらず、公式に国民的英雄に指定されている人はいません。

 参考までに9人を調べてみました。

ホセ・リサール(Jose Rizal:1861~1896)
  フィリピン独立運動の初期の指導者。1896年12月30日に銃殺刑となった。この日は現在、国民的英雄リサールの命日としてフィリピンの祭日となっている。

アンドレス・ボニファシオ(Andres Bonifacio:1863~1897)
 フィリピン史上初めて革命を目指したことから「フィリピン革命の父」といわれている。1897年5月10日処刑された。彼の生誕の日である11月30日はボニファシオデーとしてフィリピンの祝日になっている。

エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo:1869-1964)
 ボニファシオのカティプナンに加わり、軍事的才能を発揮してスペイン軍を次々と破って名声を得る。フィリピン共和国初代大統領となり、議会を招集しマロロス憲法を批准、第1次共和国を樹立。 

アポリナリオ・マビニ(Apolinario Mabini:1864-1903)
 フィリピン革命の指導者、教育者、弁護士、政治家であり、革命政府の憲法顧問を務め、のちに初代首相を務める。彼の思想はフィリピン共和国の憲法および政治的基礎となり、「革命の頭脳」とも呼ばれた。

マルセロ・デル・ピラール(Marcelo H. del Pilar:1850-1896)
 バルセロナでフィリピン人のプロパガンダ運動に加わり、フィリピンの改革を提唱する機関紙「ラ・ソリダリダッド」の編集者。

ムハンマド・ディパトゥアン・クダラット(Muhammad Dipatuan Kudarat:1581–1671)
 マギンダナオ王国の領地をミンダナオ島全土、および周囲の諸島やビサヤ諸島の一部まで支配する最盛期を実現した。また、ミンダナオを征服しようとしたスペインの軍を破り、スペイン人やオランダ人と交渉してミンダナオにおけるマギンダナオ王国の主権を認めさせた。

ファン・ルナ(Juan Luna:1857-1899)
 19世紀後半のフィリピン人の画家、彫刻家で政治活動家。彼はフィリピン人では世界で最初に認められた芸術家でした。

メルコラ・アキノ(Melchora Aquino:1812-1919)
 革命家を彼女の家に匿って励まし、けが人の手当てをしたり、財政的にも支え、「バリンタワクの母」、「フィリピン革命の母」などと呼ばれました。

ガブリエラ・シラン(Gabriela Silang:1731–1763)
 スペインからの独立を求めるイロカノ運動の最初の女性指導者。1763年の夫のディエゴの暗殺後、その革命運動を引き継ぎ、スペインの植民地政府に捕らえられ処刑されるまで4か月間イロカノ反乱運動を率いた。

 残念ながらマゼランを打ち破ったラプラプは入っていませんでした。しかし、なかなか客観的に英雄を決めるのは難しいと思います。

 現在、ホセ・リサールとアンドレス・ボニファシオについては関連の祝日が制定されていますので、少なくともこの2人はフィリピンの国民的英雄と呼んでいいのではないかと思います。

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