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今更ですが2020年の出来事を振り返る

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2020年1月から6月までの主な出来事

 既に2021年に入っていますが、ここで改めて2020年を振り返ってみたいと思います。

1月
 12日にルソン島の南の方にあるタール火山が1977年以来47年ぶりに噴火しました。火山灰は60km北に離れているマニラにも降り、ニノイ・アキノ国際空港も一時的に運営を中断したので、日本のニュースでも取り上げられました。
 私の住んでいるセブとタール火山は直線距離で約530km、日本では鹿児島県の桜島から神戸までで510kmくらいですので、生活には全く問題ありませんでしたが、タール火山のあるタガイタイはマニラから車で1~2時間。標高700mの避暑地で、火山の影響で海がせき止められてできたタール湖で有名な観光地ですので、当時は立ち入り禁止の措置が取られるなど現地では特に大きな影響がありました。
 噴火当時は噴火警戒レベルが5段階中の4でしたが、3月下旬には1にまで引き下げられ、現在まで続いているとのことです。
 23日には、中国でのコロナウイルスの感染拡大を受け、旧正月で武漢から観光地ボラカイに到着した中国人約600人を感染防止のため、そのまま帰国させていますが、その後、フィリピンでも最初の新型コロナウィルスが中国人の観光客から確認されました。

2月
 コロナの話がだんだん大きくなっていましたが、何とか下旬には日本に一時帰国できました。約1週間の滞在でプライベートな時間があまりなく、要件が済んだ後に実家に帰る時間もなかったのですが、久しぶりの日本に行けて良かったです。大阪→名古屋→東京と横断しましたが、新幹線でも私はマスクを着用していました。

3月
 15日からはマニラ首都圏では隔離措置が開始され、学校の授業が停止、夜間外出禁止、雇用証明書の提示など必要不可欠な人でないとマニラ圏外から入れないようになりました。
 私は2月末に日本からフィリピンに戻ってきていますが、この時はフィリピンよりも日本の方が感染者数が多かったので、こちらでは危険人物扱いされ、自粛して外出をなるべく控えていたところです。
 中旬になって日本間の飛行機の定期便の運航がすべてストップし、その後、セブからは臨時便の対応となって現在まで続いていますが、マニラの定期便は6月下旬から段階的に再開されています。
 28日頃からセブ市などでも正式に隔離措置が開始され、本格的に自宅での隔離生活が始まりました。

4月
 上旬にアルコールバンが発動。これはお酒などのアルコール類を禁止する措置でお店で購入することが出来なります。事前に予測されていたのでビールなどを買いだめしていましたが、結局数日で飲んでしまい、必然的に強制禁酒となってしまいました。それまではほとんど毎日飲んでいたので、私自身がアルコール中毒になっていないか心配しましたが、禁断症状もなく一安心したところです。

5月
 中旬になって隔離措置が若干緩和されましたが、外出は全くしませんでした。
 下旬からは、私の住んでいるマクタン島のラプラプ市では許可されたジープニー(乗合バス)の運航が開始されています。

6月
 1日にラプラプ市ではアルコールバンが解除。お店でアルコール類が購入できるようになり、やっと家でお酒が飲めるようになりました。現在でも、以前はよく見られていたセブンイレブンの店外などでの飲酒は禁止されています。
 中旬からはレストランなどでの店内飲食が再開。ラプラプ市の市長がコロナに感染してしまいましたが、下旬に無事回復しています。
 少しずつ緩和されてきた隔離措置が、下旬になってもセブ市だけは感染拡大したために、ここだけ再び厳しくなり、フィリピン国家警察特殊部隊(Special Action Force:通称SAF)が応援に駆けつけました。また、具合の悪くなった日本人の方が、コロナの影響でなかなか受け入れ先の病院が見つからず、しばらくしてからようやく病院がみつかりましたが、搬送先で亡くなられました。
 さらに、27日(土)には、セブ市バランガイ(フィリピンの最小行政区の単位)のバサク・サン・ニコラス(BASAK SAN NICOLAS)では夜にフィエスタ(地域のお祭り)の前夜祭が行われ、炎上しました。翌日の本祭は中止されています。

2020年7月から12月までの主な出来事

7月
 月初めに様子をみにジープニーで外出してみましたが、人はあまり出歩いていません。
 中旬からバイクの2人乗りが解禁されましたが、運転者と後ろの同乗者との間に感染防止シールド(MOTORCYCLE BARRIER SHIELDなどと呼び、値段はPhp800くらい)を使用した上との条件付きでした。

 この件に関してはかえって危いなど、SNS上でも散々酷評され、8月下旬に同居夫婦やカップルはシールドなしでもOKとなって、その後はみなくなりました。今となっては懐かしいです。慌てて購入した人もいましたが、今では無用の長物となっていでしょう。
 下旬からはこのブログやツイッターなどを始めました。ブログは長期更新しない時期もありましたが、何とかマイペースで続けていきたいと思っています。

8月
 上旬にマクタン島から橋を渡ったマンダウエ市に用事があり、久々にセブ島へ。セブ市は隔離措置が厳しく、なかなか入れないとのことでした。また、マクタン島にもコルドバ自治区というセブ市の一部になっている地域がありますが、あまりに境界部分の検閲が厳しく、浜などを歩いて海の方から、行き帰りしているとのことでした。
 中旬からはタクシーやジープニーなどの公共機関やモールなどでのフェイスシールドの着用が義務化され、これは現在も続いるところです。
 下旬からは私の息子の私立幼稚園がスタートし、オンラインでの授業が開始。親は横でつきっきりで授業に参加せざるを得ない事態となりました。また、宿題を提出するのにプリンターが必須になってしまい、購入しています。

9月
 セブ市の隔離措置がだいぶ緩和されてきましたので、久しぶりにセブ市のモールなどに行ってます。クリスマス関連商品が既に並んでいました。

10月
 上旬にはすでにマクタン島のカジノがオープンしていました。専用カードが必要で会員にならなければなりません。
 そして、フィリピンの公立学校の授業がオンラインなどで5日から開始されました。パソコンやプリンターを持っていない生徒は、プリント学習となり、その場合は親はプリントを取りに学校にいくため、付近は混雑します。また、家でオンラインで授業を受けいている生徒の中には、シグナルを確保するために木に登ったり、日中のカラオケがうるさくて勉強できないなどの苦情を考慮して、平日の昼間のカラオケが禁止となりました。この措置は現在も続いているところです。
 9日の夜、セブ市で警察の取り締まりがあり、検疫違反で日本人を含む27人がバーで逮捕。
 中旬にはマリンアクティビティが解禁され、私もこの年の初泳ぎをやっとすることができました。

11月
 1日はフィリピンのお盆に相当する「万聖節」でしたが、コロナウイルスの関連でこの日を含む1週間程度の墓参りが禁止となったりしました。例年は家族で墓を訪れ、墓の周りで夜明かししたりしていますが、時期をずらして事前に済ませた人が多かったようです。

12月
 クリスマスパーティーは自粛されて、ほとんど開催されず、年末年始も花火や爆竹はなったものの比較的おとなしめでした。

2020年のまとめ

 2020年はコロナで例年と違って特別でした、フィリピンでこの先暮していく上でいろいろ考えるこありました。こちらでの永住を希望していた人が諦めて日本に帰国した人も多くいたようです。

 私は生活できるうちはこっちで頑張りたいです。先ずは健康第一。元気があれば何でもできます。こちらの病院での治療はとても高額なので、なるべく外出を控えるようにし、外出の際には予防を徹底しました。また外出しなくてもいいように家でいかに快適に過ごすかを考え、実践しました。日本のラジオやテレビをみたり、日本の食事を作ったりしたのはその一環で、何とか暮らしていくことができました。

 このままコロナが続くと、さらに金銭面でいろいろ問題が出てくるので、それに向けていろいろ考えることも多く、頭が痛いのでが、適宜気分転換しながら家族で何とか乗り切っていきたいと思っています。結局は自分で何とかするしかありません。

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