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ペニグノ・アキノ前大統領がご両親のもとに旅立たれました

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ドゥテルテ大統領もその実績には一目を置いているようです

 フィリピンのペニグノ・アキノ(Benigno Simeon Cojuangco Aquino III、通称ノイノイ:Noynoy)前大統領が他界されました。6月24日朝6時半の睡眠中だったそうです。

 約2年前から体調を崩して通院されていたとのことで、原因は糖尿病が引き起こした腎臓疾患。昨年の2020年からは週に3回人工透析を受けていたようですが、亡くなられる直前は人工透析も受けられないほど衰弱されていたとのこと。周囲の説得で腎臓移植手術に同意し、ドナー候補の選別など移植準備もすすんでいたようですが、間に合いませんでした。WHOが発表している2019年のフィリピンの男性の平均寿命は67.4歳(124位、日本は81.5歳でスイスに次いで2位)ですので、その早い死が惜しまれています。

 ペニグノ・アキノ前大統領のご両親は現在500ペソの肖像画にもなっています。

 右側が父親のベニグノ・アキノ・ジュニア(Benigno Simeon Aquino, Jr.)元上院議員で、そして左側が母親のコラソン・アキノ(Corazón Aquino)元大統領です。

 父親は約20年間にも渡って権力を握っていたマルコス元大統領のライバルでもあり、35歳でフィリピン史上最年少で上院議員に当選した人気政治家でした。2021年現在も最年少当選記録は破られていませんが、1983年8月21日に凶弾に倒れました。

 母親は父親の死後に反マルコス独裁の象徴ともなりました。その後、マルコスを事実上亡命に追い込む革命がおこって第11代の大統領(在職1986年 – 1992年)を務めました。2009年に76歳で亡くなっています。

 ペニグノ・アキノ前大統領自身はは38歳から下院議員を3期歴任。母親が大統領就任中の1987年には国軍の一部反乱兵がクーデターを企てて大統領府を攻撃しましたが、その際に近くで襲撃を受け、警備部隊の3人が死亡し、本人も5発の銃弾を受けながらも生き延びたものの、その時の銃弾1発が首にまだ残っていると言われていたそうです。2007年からは上院議員を務めていましたが、2009年の母親の死去後に彼を大統領候補に擁立する国民署名運動が始まり、多くの署名を集めたことで、本人も立候補することを決意し、有力候補を破って第15代大統領に就任しました。

 政治家としてはその偉大な両親にコンプレックスを持ち続けていたともいわれていますが、地味ながらも多くの実績を残したと評価されています。国内では基礎教育を12年に延ばす教育制度改革や最高裁長官の弾劾をけん引するなど汚職撲滅を進め、外交では南沙諸島の領有権問題をめぐる中国を相手取った仲裁裁判所への提訴など、反中親米路線を推し進めました。なお、本人が富豪だったことも要因と考えられていますが、周辺で汚職のうわさが立つことがほとんどありませんでした。ちなみに車で首都圏を移動する際に、先導する警察にサイレンは鳴らさないように指示をして渋滞の中をあえて進んだというエピソードもあるそうです。

 ドゥテルテ大統領も哀悼の意を示し、半旗を10日間掲げるよう大統領布告を出しています。大統領府や上下議会両院、フィリピン各地の庁舎などで弔意を示す半旗が掲げられました。

 遺体は火葬され、6月26日、パラニャーケ市「マニラ・メモリアル・パーク」にある両親の眠る墓地の隣の一画に納められました。

半旗が掲げられているマクタンシュラインに行きました

 マクタンシュラインにも毎日国旗が掲揚されていますが、期間中は半旗が掲げられていました。

 この時は500年の記念行事後初めて行ったのですが、新しい石碑が2つ設置されていました。

 なお、以前の入口だったところは引き続き閉まっていますので、入場口を間違えないようにしましょう。

 敷地内もすっかり現市長のカラーに塗り替えられました。来年の2022年は大統領選をはじめとする統一国政・地方選挙があり、5月9日に選挙を実施することが決まっています。ペンキの塗り替えももはや選挙運動の一環ですね。反対勢力が当選すればまた塗り替えられるかもしれません。

 マクタンシュラインは改装されてきれいになりましたが、以前は木があって多少日影があったものの、現在はほとんど伐採されてしまいました。日中は特に暑く、あまり長い時間はいられなくなってしまったのがちょっと残念です。

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